第35話『西から来た女!!』
第35話『西から来た女!!』
[編集]作品情報
[編集]1999年1月20日発売、週刊少年サンデー8号に掲載。
P5
[編集]欄外(雑誌掲載時のみ)
[編集]じゃじゃーん!!いつになくシリアスな幕開け! 新キャラの登場で『かってに改蔵』新展開!?
[編集]5コマ目
[編集]写真は第24話『映画を作ろう!!』で作った映画の一場面。
P6
[編集]扉絵
[編集]ジュン
扉絵内の文(あおり文)
[編集]笑いの基本は ボケとツッコミや!!
[編集]今週の改蔵は関西方面で激ウケ!(の予定)
[編集]この回は雑誌掲載時、「久米田☆康治」表記。作者名に☆を入れた表記はこの回で終了。
P7
[編集]2コマ目
[編集]殺人バックアタッカー
[編集]悪魔の鉄道ゾンビ
[編集]対変態リーサルウェポン
[編集]4コマ目
[編集]ポスター「生徒会長募集(空位のため)」
[編集]P8
[編集]3コマ目
[編集]話しあいの図
[編集]P9
[編集]1コマ目
[編集]生徒会 書記 日辺美男
[編集]がくぶん学習センターが運営するボールペン習字講座のイメージキャラクター「日ペンの美子ちゃん」から。
昭和47年から続く広告マンガの老舗。
生徒会 会計 公文数夫
[編集]日本公文教育研究会が運営する学習塾「公文式」より。
数夫は創設者の公文公が数学教師だったからと推測される。現在は日本だけでなく、世界各地に教室がある。
5コマ目
[編集]たかうじ、鍋奉行、漫画「キテレツ大百科」のコロ助の写真がある。
P11
[編集]7コマ目
[編集]LP「恋はLSI B面*ックに* すず&ジュ」
[編集]第9話『科特部財政危機一髪!?』に登場したレコード。
P12
[編集]2コマ目
[編集]日本橋は大阪の電気街。詳細は第9話『科特部財政危機一髪!?』の関連項目を参照。
すずとジュンが電気街アイドルだったことが本話で発覚する。
P13
[編集]7コマ目
[編集]このような「お好み焼き定食」が実在する。
P15
[編集]3コマ目
[編集]勝改造「少年サンデーにはすでに屈強な関西人のライバルがこんなにいる!!」
[編集]上のキャラ
[編集]「なぎさMe公認」の宮里茂樹
左下のキャラ
[編集]下中央のキャラ
[編集]「俺たちのフィールド」の騎馬拓馬
右下のキャラ
[編集]ゆうきまさみ作『じゃじゃ馬グルーミンUP!』に登場する謎の関西人・梅ちゃん。情報通だがガセネタも多く、競馬好きだが馬券を外すたびに爆発している。
P18
[編集]5コマ目
[編集]ジュン「大阪名物 合成キャラクターTシャツ!!」
[編集]P19
[編集]コマ目
[編集]P20
[編集]4コマ目
[編集]勝改蔵「下っぱの分際で栄光のたてじまを着る資格はなーーい!!」&Br;「平田に謝れ!!ラインバックに謝れ!!佐野にも!!」
[編集]いずれも阪神タイガースの選手。次の項目を参照。
5コマ目
[編集]1番 真弓
[編集]真弓明信。
1973年に太平洋クラブライオンズ(現・西武ライオンズ、1977年からクラウンライターライオンズ)に入団。1979年に阪神に移籍。1985年の日本一の際には一番打者として多大な貢献をした。1995年に引退。
2番 掛布
[編集]掛布雅之。
4代目ミスタータイガース。1974年の入団から1988年の現役引退まで阪神一筋で活躍した。
3番 バース
[編集]ランディ・バース。
史上最強の助っ人。1983年に阪神入団。1985年にはバース→掛布→岡田の「バックスクリーン3連発」をはじめとした, 日本記録にあと1本と迫る54本もの本塁打を放ち、優勝の原動力となった。1988年に退団。
4番 藤村(景浦)
[編集]藤村富美男と景浦将。
藤村は1936年に大阪タイガース(現・阪神タイガース)に入団。日本のプロ野球リーグにおける、阪神最初の勝利投手はこの人である。戦後は打者に転向。長い「物干し竿」と呼ばれたバットで1948年に46本, 52年に27本のホームランを放ち本塁打王に。彼を中心とした阪神打線は「ダイナマイト打線」と呼ばれた。1958年現役引退。ちなみに現役最後のホームランはなんと「代打サヨナラ満塁監督ホームラン」というとんでもないもの。1992年死去。
景浦も1936年に入団。4番サードとして阪神の主力打者となる。その一方で投手としても1936年の秋季に防御率0.79で最優秀防御率、勝率10割で最高勝率を獲得している。巨人の沢村栄治とはライバルとされ「東の沢村、西の景浦」「職業野球は沢村が投げ、景浦が打って始まった」などと言われていた。1943年シーズンを持って引退。1945年に戦死。
5番 田淵
[編集]田淵幸一。
1969年に入団。3代目ミスタータイガース。通称ホームラン・アーチスト[1]。タイガースの中心選手とされていたが、1979年に突然西武へトレードされる(ちなみにこのときのトレードの相手には真弓がいた)。そのため一時はミスタータイガースから除外されていたが、2002年にコーチとして阪神へ復帰した後は再びミスタータイガースと見なされるようになった。1984年に引退。
6番 ラインバック
[編集]マイク・ラインバック。
1976年に入団。バース以前、阪神の打者の助っ人と言えばこの人だった。1980年に退団。1988年に死去。
ラインバックの名前は『さよなら絶望先生』5話『ヒジニモ負ケズ ヒザニモ負ケズ』でも小節あびるのバイト先の動物園に飼われている虎の名前としても登場している。
7番 佐野
[編集]佐野仙好。
1973年に入団。1977年プレー中に頭蓋骨骨折の大怪我を負うが, レギュラー定着はその後である。渋い打者として1985年の日本一に貢献。1989年に引退。
8番 平田
[編集]平田勝男。
1982年に入団。守備の人として知られ, 日本一になった1985年には打撃の面でも貢献した(53打点)。1994年に引退。このベストナインの中では最も最近の選手である。
9番 江夏
[編集]江夏豊。
1967年入団。2年目の1968年には、1シーズンの奪三振記録としては日本記録どころかメジャーすら上回る401奪三振の記録を残している。1976年に南海ホークスに移籍した後、1978年に広島東洋カープ、1981年に日本ハムファイターズ、1984年に西武ライオンズと各球団を転々とした。うち広島と日本ハムでは優勝に貢献し「優勝請負人」と呼ばれた。1985年にはメジャーリーグに挑戦し最終選考まで残る (『さよなら絶望先生』66話『二束三文オペラ』でも少し触れられている)が、 開幕ロースター入りはならずそのまま引退。
代打 男・川藤
[編集]川藤幸三。
1968年に入団。プロ入り当初は強肩・俊足の遊撃手であり、1969年には二軍であるが盗塁王を獲得するほどであった。しかし1974年にアキレス腱を断裂して以降は代打一筋で活躍する。目立った記録はないが、その雰囲気から人気があり、1986年に監督推薦でオールスターに出場した。記録より記憶に残る選手の代表と言えるだろう。同年に現役引退。
欄外(雑誌掲載時のみ)
[編集]お好み焼きが好きだったり、阪神ファンだったり…結局改蔵も関西の文化にハマッてるわけだね!!
[編集]かゆいところ
[編集]
コメント欄
[編集]掲示板もあります。
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- ↑ ホームランの打球が描く弧が弓なりであることから、ホームランを放つことを「アーチを描く」といわれている。このアーチArchと芸術家Artistをかけて、ホームラン・アーチストと呼ばれている。「アーティスト」ではない。